• 2024年3月11日

計画停電、そして被災地へ

事務長の冨田です。東日本大震災から3日経過した2011(平成23)年3月14日計画停電初日を振り返ります。当時の私は息子が小学3年生のためパート職員として須藤整形外科クリニックの医療事務として勤務していました。当時の須藤整形外科クリニックでのリハビリは理学療法士が2名しか在籍しておらず、電気治療の来院が多くを占めていました。計画停電の初日は正しい情報がなく、小田急電鉄は日中を新宿―経堂間に限定したため、出勤ができない職員もいたので受付職員はパートの私のみでした。しばらく電気治療ができなくなるのではないか?と不安を抱えて来院された患者様も多く、専門学校で手計算を習っていましたがスピードに追い付かず、お支払いした後の領収書の発行もできないため全て後日清算となりました。水すら飲めず対応業務に追われていた矢先、診療最後に夫に連れられ私の息子は左肘が“くの字”に曲がった状態で来院しました。左橈骨・尺骨遠位端骨折の診断でした。手術が必要なため、須藤先生が手書きで紹介状を書いてくださり藤沢湘南台病院の救急外来を受診しました。(この紹介状は今では残されている唯一の手書き作成紹介状になっています。)

藤沢湘南台病院も普段より照明が暗く、緊急時以外の手術に制限をかけていましたが、子供のため翌日手術をしてくださることになり、須藤先生に夫がお礼の連絡を入れると、「すぐに手術をしてくれることになって良かった」との言葉は不安を抑えていた夫の心に響き、忙しく大変な中でも迅速な対応をしてくださった須藤先生の優しさに涙をこぼしていました。

 震災から1年後、私は復興の一環として宮城・岩手・福島と追悼の旅をしました。崩壊された家屋、室内がむき出しになった小学校の体育館、ストレッチャーが放り出されたままの病院。災害の爪痕を目の当たりにし言葉を失いました。形があるものは一瞬に消え、日常が一瞬に失われてしまったかと思うとただ涙を流すことしか出来ませんでした。それ以来私にとっての3月11日は普段と同じ日常があること、大切な場所があり、そして大切な人がいることに感謝をする振り返りの日になりました。

前回のブログで院長が述べておりましたが、これから電子処方箋が当院でも始まります。しかし、停電時に使えるのかはまだ不明です。東日本大震災では、高血圧の薬を飲んでいると分かっていても薬品名を覚えている人は少なかったそうです。せめて普段必ず服用する薬がある方は、薬品名を書いたメモをそっとお財布などに入れておくことは、個人が出来る“命をつなぐ対策”ではないかと私は思います。

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